2008年8月21日木曜日

御土居

御土居は1600年頃に豊臣秀吉によって構築された砦。
今日言う「洛中」は御土居で囲まれた部分のことを指す。
江戸時代初期には、先斗町を中心に西側が無くなっていたが、昭和になるまでは、それ以外のほとんどの部分は残っていた。
今では北西部分の一部が僅かに残っているのみである。
紫竹や鷹峯、衣笠、紫野にはここ100年の間に失われたであろう御土居の痕跡が住宅街の中に見て取れる。住宅の高低差や碁盤の目を貫く妙に不自然な道。
地名として残っているものも多い。京の七口である鞍馬口、大原口、粟田口、東寺口、丹波口、鳥羽口、荒神口。大原口にある桝形という地名も”口"の形が桝形だったところからきている。他には御土居町というのがあちこちにある。
しかし、今では京都に住んでいるものでさえ知らない人が多い。

ほんの100年、200年前には京都中が竹林の植えられた御土居、堀によって囲まれていた。
洛中から見る風景もまた違ったもであったに違いない。
今では、つくられた経緯に関していろいろな憶測があるが、足軽であった秀吉が信長のもと力をつけ、本能寺の変を経て権力の中心にたち、朝廷、大名たちとの軋轢の中、どのような経緯で造営を思い立ったのかを思うと妙に感慨深い。

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